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新鮮な卵も欠かせない

「許せないこと」というものがあります。


豊さんみたいな、死語だというのに「スチャラカ」とか、「パッパラパー」みたいな言葉が似合う人間でも、許せないことはあります。

というか、みんな多かれ少なかれそういうものを持って、ただまぁそれをあんまり表に出すような事はせず、いろんなことで折り合いをつけながら日々を過ごし、たまーに飲み屋で愚痴をこぼしてるんだと思うのです。

これがお酒の飲めない年齢だと、直接的な暴力に走ったり、他のことに逃避しちゃったりするんだと思うのですよ。

豊さんは思うのですが、近年の若者とか学生の極端な思考って、ここに行き着いてるんじゃないかなと思うのです。

他人の「許せないこと」を、自分の「許せないこと」と置き換えて、自ら道と視野を狭めていってる気がするのですよ。

豊さん文頭で許せないことがあるって言いましたけど、実のところそんないっぱいないのだぜ? のっぴきならない許せないことって、本当に少ないことだと思う。

そりゃね、小学生の通学路で歩きタバコしてる奴とか、満員電車で足組んで座ってる奴とか、蹴り飛ばしてやりたくなる時もありますけどね。けどね、それが自分の中の本当に許せないことかって訊かれると、ちょっと違うと思う。別にそいつらがいいとは決して思わないんですけど。

「社会通念上ダメなこと」と「自分が許せないこと」は似ているようで違うと思うのです。キリストも罪を犯したことのないものが石を投げよ、って言ってるぐらいですからね。

もっとマクロな視点で、あること一つに対して誇りを持って臨めばいいと思うのです。そしてそれが侵された時に、初めて怒れば良いのですよ。

これだけ情報化が進んだ社会で、人の考えが多様化する世の中で、だけどSNSなんかで、人の本質的な考え方に触れられる機会が多くなっている中で。「自分の矜持」を持つということはすごく重要な事です。

けど、それが本当に「自分」の考えなのか、それとも他人のこだわりや想いに共感してのものなのか、という区分けは必要だと思います。

他人のものを真似することが悪いとかそういう話ではなく、それならそれで全く構わないのですが、矜持を確立するだけの動機づけをきちんと行ってほしいと思うのです。

こだわりや矜持を持つ、っていうのは、確かに人生や考えに彩りや華を与えますが、その分、「幅」を失います。

それは、こだわり以外のものを切って捨てるということに他なりませんからね。

冒頭の話に戻りますけれども、それが「心の広さ」、要するに許せないことを増やしているように思うのです。

「許すべきではないこと」と「許せないこと」は、似ているようでどこかしらが違います。

そう、「許せないこと」というのは、もっと自分本位でいいと思うのです。ただしその数を沢山持っちゃいけない。

自分という存在をかけてまで、譲れないものというものは、たくさん持たないほうがいい。

「許すべきではないこと」をその分たくさん持って、日々を過ごせばいいと思うのです。



…ま、昔の豊さんはここらへんの切り分けがうまく出来なくて、右往左往した挙句いろんな人に迷惑をかけたわけですが。

今一度自分の「許せないこと」を、考えてみるのがいいかもしれません。





ちなみに豊さんの一番「許せないこと」は、『卵かけごはんに炊きたてのご飯を使用しないこと』です。

も、意味分かんない。
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