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僕の好きな著名人の一人に、糸井重里という人がいます。

世間では、コピーライトの第一人者として認識されていますが、その実、職業としては、エンターテイナーと表現するのが正しいのではないかと思うのです。

本の執筆も、コピーライトの作成も、イベントの主催も、企画も取材も時には自分で包丁を握って料理をするのだって、彼にとってはエンターテイメント、どうすれば面白いことが出来るのか、どうすればみんなが興味を持って、笑顔になれるのかという一点に尽きるのだと思うのです。

まあ、僕が思っているだけで、糸井さん本人はそんなこと考えてないのかもしれないのですけど。

そんな糸井さんが言った言葉に、「苦労を鑑賞したがると、何かが見えなくなる」という言葉があるのです。

「(今まで〇〇をやってきて)一番大変だったことは何ですか?」という質問がありますよね。インタビューでは、テンプレートと言っていいほど使い古された質問ですが、インタビューする方もされる方も、ほぼ無意識のうちにこの言葉を使っています。

その実僕自身、人事の仕事をしていて、社員の紹介だとか、学生への会社紹介だとか、そういった場面でその質問をしますし、されます。

この点について、糸井さんは苦労をしている人、大変な思いをしている人の話が、人は思ったよりずっと好きなのだろうという表現をしています。

雑誌なんかで読むインタビューと、学生が社会人にする質問のそれを一緒にするのは少し違うと思うのですが、どちらも、「より上位にいる」人に、苦労を聞いているという構図は変わらないものです。そういったところで「この人は上にいるけども、上にいるためにこんな苦労をした」という証拠がほしいんじゃないかと思ったり。要するに、補填ですよね。

でも、そういう方に限って、実はそんな苦労なんてしていない。他の人が苦労だと思うことを苦労だと思わなかったから、自分はここにいるんだ、とか言い放っちゃいそうで。でもそれ言ったら、いろんな人に反感を買いそうだから当り障りのないことを言っとくか…とかいう考えが働いてそうなんですよね。相変わらず考え方がネガティブですね。

そこまで露骨じゃなくても、そういう質問をされた時に「何かあったっけ、苦労…?」ってなることはそんな珍しいことでもないと思うのです。そんなしんどいことをいつまでも覚えておけるほど、人間強くないと思うんですよね。

苦労って言うならもう生きてる事自体が苦労の連続ですよ。

でもそれを言い始めちゃったら、僕らは何もできなくなっちゃう。事実としてそこにはあるけれど、そこはまあ。置いといて。みんな同じだからいいっこなしでしょ。それより面白いことやろうぜ、ってみんな動いているんだと思います。

苦労をネガティブと言ってしまうのは少し違うのかもしれませんが。人の苦労を知って共感する感情は、感情でしかありませんよね。それがちゃんとわかっていないと、いろいろ勘違いしちゃいます。

ネガティブを比べても実効性のあるポジティブにはなりませんが、ポジティブを比べると必ず一方は実効性のあるネガティブになります。

あまり他人を見すぎてしまうのは、精神衛生上良くないのかもしれません。


というわけで、心機一転お引越しをしようかと思います。

どういうわけ?

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